バンコクはかつて東洋のベニスとも呼ばれた水の都だった。
今では、近代化による埋め立てを逃れたいくつかの運河だけが残っている。
それでもバンコクは未だに川が目立つ都市で、いくつかの運河にはボートが運行し、生活密着型の水路として市民の貴重な移動手段の役目を果たしている。
そこで、バンコクのローカル運河ボートを片っ端から乗ってみようと思い立ち、現時点で知りうる限りの水路を試してみた。
観光客用の大型ボートではなく、支流をひっそりと滑るローカルボートを中心に。
必然的に、バンコクの水辺をうろうろする時間が増えた。
そうした中で、私の前に何度か姿を現した生物があった。
オオトカゲである。
以前から、気にはなっていた。
バンコクのルンピニー公園の池の畔でもオオトカゲの姿にお目にかかれるという噂は聞いていた。
川辺のカフェで食事中、水面を泳ぐオオトカゲのような生き物を遠巻きに目撃したこともあった。
別段、爬虫類好きというわけではないものの、近代的な大都会に生息する野生丸出しの生物の存在が、以前から気にはなっていた。
オオトカゲと、バンコク市民との身近な距離感は、日本人の私には馴染の薄いものでもあった。
今回、合計三匹のオオトカゲが私に前に現れた。そして、そのすべての激写に成功したのである。
センセーブ運河のオオトカゲは、しばらく川面をパトロールしたのち、下水管の中に消えた
センセーブ運河ボートの起点、パンファリラート桟橋のボートで、出発を待っていた時のこと。
ボートの端に座っていた私は何気なく左手の川面を眺めていると、突如、川面に何かの頭がひょいと突き出してすいすいと動いている。
オオトカゲだった。
乗客の何人かもオオトカゲの姿に気が付いたが、興味を示したのはわずかだった。
それはあまりにも日常的な光景のため、特に興味も惹かれないという様子だった。
もちろん私は違った。
静かな興奮を覚えつつ、冷静に、かつ迅速に、すいすい動くオオトカゲに狙いを定めた。
そして、なんとか数枚の激写に成功する。
(やった、、、)
すぐにカメラを再生し、きちんととれていることを確認すると、一抹の充足感に包まれた。
ここはこのオオトカゲの縄張りなのだろうか。
他を牽制するような鋭い眼光で辺りをパトロールする。
最終的にこのオオトカゲは、近くの下水管へとよじ登りそして姿を消した。
バンコク市民から「死の運河」と恐れられる汚染を極めた水の中でも、こうしてオオトカゲはたくましく生きているわけだ。
クルンカセーム運河、川面を悲し気に見つめるオオトカゲ
クルンカセーム運河ボートの終点、テーウェート桟橋で降りて、周辺を探索していた時のこと。
いまさっきボートで滑って来た運河を、何気なく橋の上から眺めていた。
写真の奥には、チャオプラヤ川が広がっている。
(あっ、また?)
川面に浮かんだ竹束の上に、またあいつの姿が、、、。
今回の旅では2匹目のオオトカゲだった。
いやはや、やけにお目にかかるなぁ、今回は、、、。
などと意思とは裏腹に深まってゆく不思議な縁を感じつつ、じっと眺めてみる。
泳ぐでもなく、狩りをしているようにも見えない。
ただ、この炎天下でぼうっとしているのか、微睡んでいるのか、見方によっては悲し気に川面を見つめているようにも。
背後、橋の上には、バンコクの喧騒があった。
騒がしい大都会と、他人事のように微睡むオオトカゲのコントラストが気になる。
発展著しい大都会バンコク。
しかし、その細部に目を凝らすと、ずっと前から変わらない、原初的光景が残っている。
ワット・アルンを背にゴミを漁る、チャオプラヤ川のオオトカゲ
王宮そばでチャオプラヤエクスプレスボートを降り、桟橋付近の路地を探索してた。
先細る路地の奥への興味が尽きることはない。
前方には欧米人の旅行客がとぼとぼと歩いていた。
彼らが横道に逸れて、一人になる。
辺りに人気がなくなり、川岸に連なる軒の下だろうか、とても薄暗い所に出た。
そこからフェンス越しに眺めるチャオプラヤ川は、キラキラして余計に輝いて見えた。
対岸ではワットアルンが品よく尖っているものの、ここでは汚水の臭いの混じった川辺独特の香りが残念に鼻を突いて来る。
すぐそこで水が打ち付け、水が運んできたあらゆるゴミが薄暗さの中で生々しく散乱していた。
相変わらず汚ねぇな、と少々不快に思いつつもゴミを眺めていると、あれれ、ゴミではない、何やら見慣れた例のシルエットが私の視線を捉えた。
キラキラと輝くチャオプラヤ川とワット・アルン。そして、、、。
これが、私の前に現れた最後のオオトカゲだった。
今回水辺をうろうろする機会が多かったせいか、合計3匹のオオトカゲが私の前に現れたのだった。
ルンピニー公園の池の畔で見られるという話は割と有名だが、ローカル運河ボートに乗ったり川辺を歩くと運が良ければ彼らに出会えるかもしれない。