本書の中の写真。タイ最北端の街メーサイの夕暮れに旅情が甦る。
タイを一人旅した2014年の4月、私は北端の国境沿いの街、メーサイからお隣ミャンマーのタチレクへ、生まれて初めて陸続きの越境を果たした。
越境時に渡った橋の下には、小さな川が流れていた。後で調べると、この川はサーイ川というらしい。川の周辺は意外に手薄で、隙だらけに見えた。この国境は、泳いで簡単に渡れそうだった。
そんな突飛な考えに応えるかのように、人の往来によって削られたと思しき土の箇所がいくつか目に入ってきた。その痕跡は妙に生々しく、「密入国者」の影を漂わせた。日が落ちてからそっと、タイ側へ川を渡るミャンマーの民。私は妄想を膨らませて、しばし遊んだ。
もちろん正規の方法で、私は国境を跨いだ。ぼったくられはしないかと警戒しながら、やけに人相の悪いミャンマーの係官に500バーツを支払った。後で調べると、みんなそれが正規の値段だと分かって、ほっとした。
晴れて国境を越えた。初めての陸の越境には、「突破」と言えるほどの勢いはないにせよ、静かなる爽快さはあった。
ミャンマーに入ると、なんとなく雰囲気が変わった。建物や乗り物に変化は乏しい半面、人間の発する熱量が増した気がした。
煙草や精力剤を揃えた物売りや、トゥクトゥクの運転手が次々に迫ってきて、私は少し慌てた。彼らの食い付き方には、タイでは感じることがなかった激しさがある。
油断していると、食われてしまいそうな気がした。私は彼らの「餌食」にならぬよう一層気を張って、国境付近のマーケットの賑わいの中を歩いていった。
この熱の違いはやはり、ミャンマーがタイよりも経済的に貧しいがゆえのもなのだろうか。
そんなことを考えながら、一通り市場を冷やかした後に、早々とイミグレーションの方へ踵を返した。この越境の目的は「ビザラン」だったから、ものの数十分であっさりとタイに戻ることにした。
国境付近は、物資を積んだバンやバイクの往来が騒がしい。そんな中、突然知らない少年がとことこと近寄って来てはイミグレーションの行列の方へと私を誘導した。
誘導し終わるとその少年は期待顔を私に向けてすっと小さな掌を向けた。金をせびってきたのである。つまりその、「誘導料」を払えというのだ。
まだ幼く、切実なものを感じさせられ一瞬心が揺れたが、私は「ソーリー」と一言だけいって黙々と歩き去った。
特に誘導など必要としない開けた一本道で少年は、些細な親切を売ることで小遣いを稼ごうと必死だった。
なんとも言えない生々しさが、しばらくの間体に残っていた。やはりミャンマーは、タイとはちょっと違う。そんな印象を受け取り、私はタイへ再び戻ってきた。
これが、私のささやかな、陸の越境体験である。
※※※※※
さて、本題の書評に入りたいと思う。
裏国境突破、東南アジア一周大作戦。これは、自称「国境マニア」でもある著者の下川裕治氏が、東南アジアのマイナー国境を突破してゆく旅の記録である。
還暦を迎えた著者は、阿部稔哉(としや)というカメラマンを連れだって、インドシナ半島をぐるりと制覇した。途中、バスの横転により肋骨を折るという惨事に見舞われながらも。
著者は「国境」という視点と共に東南アジアを眺め歩いてゆく。
過去の旅の回想録や、民族、政治、歴史的なストーリーを梃子に、国境の新たなイメージを浮き上がらせる。
東南アジアどくとくの緩さへの好奇心と優しい眼差し。その先の冴えた洞察と表現力。はっとさせられる気付き、いくつかの共感。
旅情が掻き立てられる。しかしすぐには旅立つ事の難しい現実へのもどかしさ、旅を生業とする著者への羨ましさ。
しかし、本人はそう楽しいことばかりでもない。還暦を過ぎた貧乏旅行には、多少の困難が付きまとう。
例えばこんな心情、「御察しします」と言えるほど年月を生きてはいない私だが、悲哀に満ちたこんな一幕は正直おもしろい。
ベトナムのバスは寝台型を取り入れるなど、それなりに進化は遂げているのだが、ひとりでも多くの客を乗せたいのだろう、「トイレは三、四時間に一回で十分だろ」などと、前立腺肥大や膀胱の筋力の低下など気にもしない年代の発想に支配されている気がする。だからトイレと言うものがない。バスが出発する直前、ひとりトイレに走り、「だから若い国は困るんだよな」などと呟きながら、勢いのないおしっこを眺めるのだった。
全国の「シニアバックパッカー」の心を鷲掴みにする一文は、タフな下川氏にしか書けないはず。
何とも言えない安心感のある面立ち。タイのラノーンで肋骨が折れているとも知らずに温泉で治そうとする著者。(本書冒頭より)
東南アジアで眺めたのは、もちろん自身のおしっこだけではない。例えば、経済発展に伴うタイの人々の変化を著者はこんな風に表現する。
数年前まで、北バスターミナルを埋めるタイ人たちの瞳は、もう少し輝いていた気がする。久しぶりに故郷に帰る若者の顔には無邪気さがあった。中年のおばさんやおじさんの顔つきはもう少し穏やかだった。いまは瞳の底に、都会の澱のようなものがべったりとくっつき、精彩が薄れてきた。二の腕に刺青を彫った女性から受け取ったぶっかけ飯のまずさと、都会の底辺に暮らす人々の諦めが、妙にシンクロしてしまうのである。
自分自身、タイの旅の中でうすうす感じていたことが、ここに上手に描かれていた。
私が初めてタイを訪れたのは2013年の一月だった。私のバンコクで見てきたその多くは、著者風に言えば「瞳の底に都会の澱のついた」人々であったわけだ。
わかる気がする。
初めてバンコクに降り立った時、人々を眺めていて、都会人特有の疲れの様なものが見てとれる瞬間があった。
(ああ、タイは発展したんだなぁ)と思ったのを覚えている。同時に、ちょっと来るのが遅かったなぁとも思った。
1984年生まれの私は、まだ無邪気だった頃の日本社会も知らなければ、発展する前のタイの姿も知らない。東南アジアという地域に魅かれる理由の一つには、経済発展に伴うエネルギッシュな雰囲気を肌で感じてみたいという、そんな欲求があることも確かだ。
そして、著者のいうような「無邪気さ」も。
おそらく、タイは先陣を切って無邪気さの喪失にさしかかっている。そこには一抹の寂しさもある。そうした「変遷」が、自身の体験や記憶を織り交ぜながら巧みに書き表されている。
さらに、こんなエピソードも印象的だった。
ラオス山中で乗った舟の運賃は頭割りだった。10人以上の乗客が集まれば一人10万キープだが、自分達だけなら120万キープ払わなければならないと言うのだ。乗客が揃わなければ、一人当たりの運賃が高くなる。
これは、ラオス山中の小さな町だから生まれた「平和な時代の運賃設定」なのだと言う。そして、話しはこう続く。
そこに欧米人バックパッカーが現れるようになる。当然、船賃はいくら?という話になる。市場原理を身に付けた人々なら、あれやこれやと考えた末、一つの船賃をはじき出しただろう。ラオスの人々が、その構造を知らないわけではない。しかしそれは、頭で理解しているだけであって、市場原理の冷酷さを骨の髄で味わっているような厳しさがない。つまりは甘いのだ。東南アジアの人々は、その傾向を持っているのだが、その頂点にラオス人が立っていると思っていい。
それは、市場原理とは縁の薄い、とあるラオスの人々の金銭感覚であった。
本書には、こうした著者の洞察による「発見」や「分析」が要所要所に書き記されており、そういった部分を私はもっとも興味深く読み楽しませていただいた。
旅行記として現地の風景や人々の暮らしを疑似体験しながらも、そういった深い気付きも味わえることができるのが本書の一番の魅力と思う。
洪水の最中、酒盛りするカンボジア人たち。著者はこれを「洪水酒場」と命名。これぞ東南アジアの風景。(本書P42より)
別書、「東南アジア駐在員はつらいよ」、著者のブログ「たそがれ色のオデッセイby下川裕治」もお勧めです。