ハトの餌を押し売りしてきた二人の女のイメージ。メモ帳を参照。
※2014年の3月頃の出来事です。
バンコク王宮そばの公園で「ハトねえさん」に遭遇
人生二度目のタイの旅も、一週間が過ぎた頃だった。王宮を目指して近くの公園の通りを歩いていた。
いつもよりぼうっとしていた。南国の暑さに加え、心配していたデモがそうでもなかったことが気を緩ませた。治安も良く、タイの雰囲気にも慣れ始めていたこともその理由だ。
(エメラルドブッダってどんなだろ?)本尊の寺院、ワットプラケオに座るエメラルドの仏像に思いを馳せていた。これから自分がハトに餌を捲かされる羽目になるなんていう珍事は到底知りえなかった。私はこの時、着々と「ハトねえさん」のテリトリーにその歩みを進めていたのだった。
“Good luck for you”
二人の女と無数のハトポッポが、私の行く手を阻んだ。「コンニチワー」。ハトに餌をばら撒きながら、小太りの女が笑みを湛えて言った。隣で、小柄な女もハトに餌付けして戯れていた。本来なら怪しむべき現地人の日本語。しかし、心が無防備だったその時の私は迂闊にも親近感を抱いてしまった。薄汚れたシャツ、垢で黒ずんだらしい肌、汗やほこりでべとついた頭髪。「たかり」の要素は十分に満たしていたはずなのに、違和感を抱き警戒心を起こすだけの心の準備が足りなかった。「ハトおばさん」の存在そのものについても無知だった。
「サワディークラップ」、私はタイ語での挨拶すら欠かさなかった。滑稽極まりないのだが、あくまで礼儀ただしく、その罠に嵌り込んで行ったのだ。
「タイゴデキルノ?」小太りのどす黒い女がニコニコと驚いた風に言って私をノせた。罠にかかった獲物をさらにもう一歩引き込むための一言は見事に功を奏した。
「リット・ノーイ(少しだけ)」、人差し指と親指で作った隙間を眼前にかざしながら、カモは得意げに言って見せた。私の警戒心のバロメーターには0か100しかないのではないだろうか。もちろんこのとき針は0を指し示していた。
“Good luck for you!”女はそう言いながらこちらに詰め寄ると、私の右手に餌袋を持たせ、それとほぼ同時に封を切るやいなや、餌が辺り一面にこぼれ散った。気付くと私はハトに包囲されていた。ほとんど一瞬の出来事、洗練された実に見事な手際だった。
今思えば、女らとグルのハトらの、無我夢中の啄みの半分は演技で、私が呆然と立ち尽くしているのを横目に、しめしめぽっぽーとほくそ笑んでいたに違いない。
豹変する女、食い続けるハト
これを境に、女らの相好は不気味なほど豹変した。それまで温度のあった女の表情がとたんに冷淡さを帯びた。小柄な方はこちらを睨んでさえいた。小太りの女は冷厳にすっと手を出すと、ピンクに塗りたくった唇からまた日本語を言い放った。
「オカネ!オカネ!」
ハトはうつむいていたが、きっと同じ心境だったと思う。女らのビジネスがうまくいっただけ、彼らハトらも安泰なのだから。
そんなハトたちの計算もつゆ知らず、彼らに囲まれて愉悦すら覚えていた私は、やっとこの時すべてを悟った。油断していたとはいえ、その愚鈍さは我ながらあっぱれだ。
しかしここでお金を払うほど間抜けではない。正気を取り戻し、怒りを抑えつつ憮然とドスを効かせて言い放った。
「No!」
その気迫にハトのくちばしが一瞬止まった。数羽に至っては「ぽっぽー」鳴きながら背を向けて離れたが、女らは何かしらの文句を垂れた。
「”%$&#%$‘」
私はハトの群れを引き裂くように黙って歩き去った。背中を緊迫させ、背後を牽制しながら。肩を怒らせて、二次攻撃を防いだ。
だいぶ離れたところからそっとふり返ると、追いかけてくる様子はなかった。それで少しほっとする。女らのバックに何が付いているか知れないから、正直ちょっと怖い。おそらく、公園周辺を根城とする市民の日銭稼ぎなのだろうから、マフィアの出る幕ではないだろうが。
ちなににその時私のバックに何か付いていたとすれば、それはせいぜいハトの糞くらいだろう。
こういう出来事には酷く気分を害される。直後にしつこくまとわりついてきたトゥクトゥクのおんちゃんへもその苛立ちは飛び火する。「No!!!」思わずさっきより激しいnoが飛び出た。そしてすぐに思った。怒りに身を任せては更なる災難を招く。そうな不吉な予感から、努めて気を落ち着つかせた。(いや~油断していたなぁ)。初めから女らと関わらなければ、この怒りとも出会わずに済んだのだから、結局行きつくところは、自分が迂闊だったということだ。
日本語を喋る彼女らに、主な標的は日本人であるという悲しい現実を見る。お金は払わずとも、私のように途中までは引っ掛かる人もまだまだいるのだろう。ネットにも、地球の歩き方にもきちんと出ているのに。
俺はタチの悪いカモ?
話はやや逸れるが、初めから餌捲きの誘いを断る旅行者よりも、餌だけ捲いて金を払わない私のようなカモのほうがタチが悪くないだろうか?彼女らが餌をどこから仕入れているのかは知らないが、餌だけ減れば赤字に近づく。
それでも、数年前から変わらずこうした詐欺が消えないということは、やはり黒字なのだろう。なんせこの餌は超高級品で、一袋「500バーツ!」ほど要求されるのだから。カオサンの安宿が一泊150Bほどである。彼女らにしたら、一袋売れば大儲けということになる。
“Good luck for you, too.”
後日、その公園の空にたくさんの凧が舞い上がっていた。芝生の上には家族連れや子供たちで溢れ返り、その多くが凧あげをしていた。周辺では、トレーニングウェアに身を包み、耳にイヤホンを嵌めてジョギングをする人々も目についた。その光景はおそらく一定の豊かさを獲得した国に共通のものであろう。わざわざ運動して脂肪を落すのだから、その国が豊かになった一つの印と受け取ることもできる。
私は歩きながら、芝生の上を走りまわる子供をなにげなく眺めていた。その中に、子供たちと戯れるひと際大きな女がいた。よく見るとその女は、私にハトの餌を売りつけてきた恰幅のいい方の女だった。彼女ははしゃいで逃げ回る子供たちを楽しそうに追いかけ戯れていた。彼女は遊んでいるのか、それとも、あげているのか。とにかくその時の彼女の表情は「オカネ!」と冷徹に言い迫ったあの時とは別人のように、とても明るかった。ただ、清潔とは言い難い身なりだけがあの時と変わらなかった。
別の日にまた、私は同じ辺りを歩いていた。たしか、チャオプラヤ川の対岸にある「死体博物館」を見学した帰り道だったと思う。
公園の例のベンチに、どっしり腰掛ける女の背中が目に入った。彼女だった。また同じ身なりの彼女は足をだらんと開いて座り、くたびれた顔をして眠っていた。
少し離れた所をそっと歩きながら、横まで来た所で顔を覗いた。まだ陽射が厳しい炎天下で、やはりぐったりと眠っていた。きっと彼女はこの公園付近を根城にして、時々は「オカネ!オカネ!」と言い迫って旅行者から日銭を稼いでいるのだろう。
カオサン方面へ歩を進めながらも、偶然目にしてしまったベンチで眠る彼女が気になって何度かふり返った。ふり返るたびに彼女は小さくなっていったが、私の意識の中の彼女の存在は少しずつ膨らみと重みを増していった。彼女の頭髪はいつもどおり埃や汗のせいで重たげだった。
旅行者に押し売りする彼女。芝生の上を子供たちと駆け回る無邪気な彼女。炎天下の公園のベンチでぐったりと眠りしばしの休息に浸る彼女。3つのシーンを目にしたことで、彼女に対するイメージのバランスがいくばくかはマシになったと思う。もちろん、あの時の押し売りの怒りなどとっくのとうにどこかへ行ってしまってはいたけれど。
彼女の詳しい事情はわからないけれど、きっと彼女だってなにもすき好んで「ハトねえさん」をしているわけではない。彼女に用意されている非常に限られた選択肢の中の一つをやむを得ず実践しているにすぎないはすだ。それが、少し考えれば分かるはずの当たり前の事実であろう。
彼女の暮らしの別の一面を垣間見たことでそんな思いに駆られた。すこし沈んだ気分を引きずりながら、私はカオサン方面へと帰って行った。
5年前、私が初めてのタイ旅行をした時に初めて遭った詐欺(?)がコレでした。
私の場合、お金!と言われて20バーツ渡したのですが、全然足りんというような事を言われ、断固として払わないでいたら仲間(別のおばさん)まで呼んできて「金払えコール」されました。
今ではタイ在住の私から見ても、王宮周辺はあの手の嫌がらせで満ちた旅行者にとっての最難所だと思います。
騙されるのは旅行者だけかと思いきや、この前タイ人の友人を連れてあの界隈に行ったところ、「王宮なら今日休みだよ詐欺師」にまんまと騙されそうになっていて笑いました。
タイ在住とは、ほんとにほんとに羨ましい限りです。
あのハトあおばさん達には「コール」もあるんですね。それはとても興味深い事実です。
今度タイに行った時にはそのコールが出てくるまで粘ってみようかな。それ、羨ましい体験です。
エサ代を払うのは御免だけど、コール代なら払っても良さそうな気になるかもしれません。コールのクオリティー次第では。
「王宮休みだよ詐欺」も有名みたいですね。私も前回の旅行でカモにされそうになりましたが、なんとか無事に回避することができました。
やはり、「向こうから話しかけてくる場合は怪しい」は鉄則ですね。そのタイのご友人にもそのようにお伝えください。笑