バンコクの同業者
私は日本で土木業(道路舗装)の経験があるものだから、バンコクで遭遇した同業者に思わずシャッターを切ってしまいました。観察していると、作業内容はだいたい同じであることに気が付く。しかし、身なりや働きぶり、精巧さにはやはり違いがあります。
質素な装備
そばには合材運搬用と思われるトラックが一台のみ。俺が働いていた時は「道具車」なるものがあり、あらゆる機械や装備を準備していたものだが、彼らの装備はやけに質素だ。それに仕上がり具合を見ていると、やはり日本のクオリティーには及びません。
タイらしくみんなのんびり作業しています。むろん、この炎熱の中をきびきびと動いたのでは命が危険です。
油マン、スコップマン
油をまく人、油マン。それにスコップマン。一応、撮影してもよいかどうか尋ねてから撮りましたが、油マンに関しては少々不服の様にも見えます。
それにしても油マンのお腹、ドカタにしてはぽっこりしています。あまり激しい動きは求められないのだろうか。私はドカタを初めて1カ月で長い間隠れていた腹筋が姿を現したと言うのに。まあ、人のお腹の事などうんぬん言うのは余計なお世話でしょう。
スコップマンのスコップ、よくみるとやけに長いことに気がつきます。おそらくレイキのように均し作業にも使うためでしょう。
スリッパで作業
よくみるとスリッパです。日本では考えられません。ちなみに私は長靴型の安全靴をはいて作業していました。アスファルト合材は熱々だし足の甲を守る鉄が施されていないと危険です。この程度の現場ならスリッパでも問題なさそうですが。
ポンポコリンとプレート
その油の上をこれまたポンポコリンの彼が機械で慣らします。この機械はおそらく日本では「プレート」と呼ばれるものに当たるのですが、彼らはなんと呼ぶのだろう。
箒が放置されています。私が働き始めた当初、唯一こなすことが出来たのは「箒で掃く」ことぐらいだった。この竹ぼうきは古いのかそれほどボリュームがありません。
タイで見かける典型的な箒
ここまで扇を広げる必要があるのだろうか。塵取りに収め難そうに思えてしょうがない。まるで孔雀のようだ。
バンコクの路面、気になった個所
さて、バンコクや他の街をぶらぶら歩いていると、路面がとても荒れていることに気が付く。凸凹していたり、巨大地震の後のように盛り上がっていたり、突然穴があいていたりする。以下の写真はそのほんの一部、主にバンコクのルンピニ周辺で撮影したものです。
仕上がりが雑
段差
地底への入り口
トカゲか何かが這い出てきそうだ。
路面に生える鉄
一枚だけの盲人プレート
犬の足跡
舗装後、しっかり乾く前に踏んじゃったのでしょう。タイの野良犬、地域犬の多さを考えれば防ぎようのない、当然の結果だろう。
向こうを見ている間に恐る恐る撮影。
ところで、タイ国内の津々浦々に溢れ返る、野良犬ともペットともつかないワンワンたち。もちろん列記としたペット犬もいらっしゃるのだろうけれど、いざ、こういう張り紙を目にすると、ちょっと可笑しくてしょうがない。
尋ね犬
とあるゲストハウスのオーナーにこの写真を見せると、やはり「尋ね犬」の張り紙だと言う。
飼い主の気持ちを考えれば些か不謹慎かも知れないけれど、タイで見かける犬たちはどれも野犬のごとき狂犬面の上にみな放し飼いだから、こうして飼い主に探されるほど愛されたペットちゃんだというのを知ると、拍子抜けするというか、滑稽とういうか、いと可笑し、ってな気分になる。といったら犬に失礼か。タイの地域県に関して詳しく知りたい方はタイの地域県。狂犬病やスリン県で襲われた話をチェックしてみてください。
アスファルトに咲く鉄の束
東北部の街、コーンケーンの地底への入り口
路面はフロンティア
タイの路面には仕事が溢れている。これが土木業初心者の俺が受けた印象だ。だからといってこれからそのフロンティアで一攫千金を狙おうなんていう野望は抱かないが。
ちょっとした溝
日本ではこのような溝や隙間も「埋めるべき箇所」として捉えるでしょう。きっとアスファルト合材などを擦りこんでバーナーで焼いて鏝をとんとんかけて溝を埋めることになるはず。その緻密さは日本の良い所かもしれない。
しかし個人的には上述の「地底への入り口」や「路面に咲く鉄の束」といった雑然とした景色はとても真新しくて目を楽しませてくれるから好きなのだ。
似たような状態を津波の後の宮城県沿岸部で何度か目にしたことはあるけれど、それらはたちまち修繕、舗装されてしまいその存在が長期間許されることはまずない。ましてや、平穏な日本の都会の路面でそうした隙間や穴はまず見ることはできないだろう。
「洗練」にはない「無邪気でやんちゃな魅力」
発展著しいタイ社会がこれから洗練に向かうにつれて日本のような綺麗な路面になっていくのだろうか。それとも、「マイペンライ」でこのまま突き進むのだろうか。
個人的には、近い将来、地底への入り口や、路上に咲く鉄の束が見れなくなるのはとても悲しい心持がする。それが心配です。
アジアではタイと台湾くらいしか訪れた経験は無い私だが、これらの雑然たる路面景色を目にする度に感受するのはなにか。それはある言い方をするならば「洗練」という状態の中には見つけることのできない「無邪気でやんちゃな魅力」である。路面を無邪気とかやんちゃなんて言い方で表現すると首を傾げられてしまうかもしれないけれど。
もちろん上に見た路面景色はそうしたエッセンスの一つの現れ方に過ぎず、おそらくそれは社会のあらゆる場面で見え隠れするし、一旅人である私の両目はそうしたワンシーンワンシーンを楽しみに探し歩いている、それが旅の大きな楽しみでもある。
だからか、路面の穴に足を取られぬように注意して歩くのも楽しいではないか、とついつい思ってしまうのだが、それは路面の美しい国、「無邪気でやんちゃな魅力」を失いかけた国からやってきた人間の、たんなる無い物ねだりのわがままなのかもしれない。
stay wild
そんなことを考えるとき、これから紹介するような光景を目にすると、私の特殊な心配事はいとも簡単に吹き飛んでしまう。これから見ていくタイ人の感性、感覚なら、路面も街並みもなにもかも、しばらくは野生的魅力を失わずに済むのではないだろうかと。
電線
俺は電気系統には疎いけれど、それにしてもちょっと複雑に絡み合いすぎちゃいないだろうか。安全上問題があるような気がするのだが、いかがなものなのでしょう。俺はこの電線の束を見た時、ジャングルに絡み合う蔓を想った。そして、これをよしとする彼らタイ人の感覚の根底には、DNAに刻み込まれたジャングルへの郷愁があるのではないだろうかと。いささか無理があるだろうか。
まあ、今はコンクリートジャングルだけれど、もともとリアルジャングルだったわけだし、その面影は至る所にあるけれど。
コンクリートジャングルの蔓
そのようなことを頭の片隅に置きつつバンコクルンピニ近辺を徘徊していると、消防車と人だかりに遭遇した。どうやら、電線から煙が立っているようだった。
泥棒除け(たぶん)
家の塀の上に埋め込まれたビール瓶の破片らしき泥棒除けのようなもの。過激だなぁ~。もしもうちの地元の人々が切れた電線やビール瓶の道路棒よけを見たらきっとこう表現するでしょう。
「か~!タイずんちかねんだなやぁ~、これ」
(いや~、タイ人はキカナイ(凶暴)なんだなぁ~)
痛たたたたたぁ~!
いくら泥棒除けとはいえ、これを平然とやってのけるのが大方のタイ人の感覚だとすると、安全に配慮して路面の凸凹や穴ごときを整備するとはちょっと考えにくい。という意見には少々無理があるだろうか、、、。
普段は穏やかそうに見えるタイ人と、平気で死人を出す過激なデモとのギャップは個人的に興味深い点だった。このガラス片の鋭利な切り口が、タイ人の隠し持つ凶暴性なのだろうか。
デモ隊アジト付近で見かけた過激な横断幕
感覚が物騒です。ちかねんだぁ~、これ。
日本のドカタ
バンコクのドカタの話からあっちこっちへ跳んでしまいました。最後に、タイへの出発前に立ちよった墨田区スカイツリー周辺でたまたま遭遇したアスファルト舗装現場。自分がドカタを経験する前は素通りしていた光景だったかもしれないが、今の俺にはけっして他人事とは思えません。こうしてみると、日本のドカタはピシッとしていてかっこよくも見えます。
これは自分がやっていたのとまったく同じ種類の仕事です。このような広めの道路を造る際には「フィニッシャー」とよばれる車両が活躍します。作業員の恰好も靴もまったく同じだったから、少々感慨深いものがありました。このフィニッシャーに追い立てられるようにスコップ作業をするのはなかなかの重労働。当然腹もへこみます。前述の「油マン」も、腹を膨らませている暇などないでしょう。
それにしても見事に平らできちっとした道路だ。これぞ日本のクオリティー。
個人的にはタイのようなアスレチックな路面も楽しいけれど、平らな道路を歩いたり走ったりできることのへの感謝も忘れてはいけないですね。日本を外から見て初めて日本の良さが分かる、なんてよく言いますが、そんな話の一例ということで、無理やり閉幕したいと思います。まとまりの欠片もない話でした。