夕暮れ時のヤワラート通り。昔からなぜか、チャイナタウンには惹かれるものがある。
バンコクのヤワラート通り(地図上A)を中心にしてタイ王国最大規模の中華街が形成されている。
赤々とド派手な金行が軒を連ねる目抜き通りには、連日世界中の観光客が訪れる。
チャイナタウンはヤワラート通りを人ごみに紛れて歩くだけでも十分に楽しめる。
目抜き通りのホテルに泊り、夜はフカヒレに舌鼓を打つ。それがよくある楽しみ方だろうか。
中華街周辺地図。左上の部分をクリックするとA~Tまでの名前を閲覧することができる。以降、読み進めながら参照してみて欲しい。
黄金仏が安置されているワット・トライミット(B)、得体の知れない姿形の食べ物にぎょっとするイサラーヌパープ通り(C)、不思議なガラクタに出会えるという泥棒市場(D)も面白い。
安くてうまいローカルな食堂は病みつきになる。
ところがその脇の路地を奥に立ち入ってみれば、路肩に屯した女性たちが白昼堂々と売春を持ち掛けて来る。
そんな猥雑さも、ここにはある。
ヤワラート通りの北側に位置する「7月22日ロータリー」(E)。この周辺は、曰く付きだ。
ここは、1990年代までは日本からの旅人の拠点となる場所だった。
当時はいくつもの旅社(安宿)が点在しており、麻薬と売春に塗れた場所でもだった。
今は、過去の哀愁と再開発の香りが同居するように見える。しかし、ロータリー周辺はいまでも、日が落ちると様相が一変する。
夕方辺りから立ちんぼの姿がチラほらとし始め、怪しい視線が飛び交う猥雑なエリアとなる。
結局、中華街には3泊4日ほど滞在することになった。さらりと観光を楽しむなら一泊で十分の気もするし、裏まで深く浸るなら無限の日数を要するはずだ。
バンコク市内からの行き方、ヤワラート通りに面したホテル、また周辺の手ごろな安宿の紹介なども含めて「足が棒になるまで」歩き回った記録を綴ってみたい。
地下鉄フアランポーン駅から歩いて約10分
MRT(地下鉄)フアランポーン駅から歩いて10分ほどで中華街の中心を貫くヤワラート通りにたどり着ける。
MRT(地下鉄)フアランポーン駅3番出口。日が暮れると辺りには茣蓙敷の「路上居酒屋」が現れることも。
地下鉄フアランポーン駅の目と鼻の先には、タイ国内最大規模の鉄道駅、フアランポーン駅がある。この駅はタイ国内を鉄道で旅する場合の起点になるだろう。
バスでチャイナタウンへ向かう場合
バンコク市内からバスでチャイナタウンへ向かう場合は以下を参考に。
- 戦勝記念塔から204、542番。
- プラトゥーナムから73番。
- スクムウィット通りから25、40番。
- チャルン・クルン通りから1、75番。
- ウォンウィエン・ヤイから4、7、85、169、529番。
ヤワラート通り
ヤワラート通り。とにかく派手な金行の看板があちこちに飛び出していて賑やかだ。
ヤワラート通りはチャイナタウンの中心部を貫くように走るメインストリートである。
多くの金行やホテルが立ち並び、中華系レストラン、雑貨屋なども犇めく大変賑やかな通りとなっている。
通りは喧噪に満ち溢れ、地元の中国系タイ人や世界各国からの観光客で込み合っている。
目が覚めるように派手な漢字の看板に目を奪われながら散策を開始、すると焼き栗の香りが鼻先をかすめる。
おそらくどこの中華街でもお馴染の香り、数年前、横浜中華街でも同じ香りに出会ったことを思い出す。
屋台フルーツの艶やかな清涼感、赤々とした中国式の装飾品や雑貨類、ショーケースにはサメの鰭や燕の巣、中華料理店の入り口脇にはアヒルの丸焼きがだらりとぶらさがりお出迎えしている。
たちまちにして旅人は、この独特の雰囲気に飲み込まれてしまう。
路地
ヤワラート通りから枝分かれする路地にも好奇心を擽られる。
例えば生々しく五感に訴えてくるのがイサラーヌパープ通り(C)、細長い道の両脇に形成された市場だ。
生鮮食品に香辛料、それにお茶っ葉などを扱っている店が目立ち、人や配達バイクが管の中をゆっくりと流れていく。
これがもし血管なら、動脈硬化を起こしそうなほど血はドロドロだ。(一度、境界型糖尿病になっている著者だからこその例え)
バンコクの中華街に来たら必ず訪れておきたいスポットだ。
管のように細長い通りには大勢の人が行き来する。スリには注意したい。
「ハロー、ブンブン?」
ヤワラート通りから路地を一本入っただけで、そこにはまた別の世界が広がっている。
喧噪を背に建物の間の路地を奥の方へと進んでゆくと、路肩のベンチに腰掛けた女性たちが怪しい視線を投げかけてくる。
あえて目を合わせてみるとやはりこの一言だ。
「ハロー、ブンブン?」
ブンブンとはタイ語で性交を表す単語であり、これは間違いなく売春の誘いである。おそらく周辺の建物がそのまま置屋になっているのだろう。
割と若い女に中年風の女まで昼間から客を取ろうとしている。
おしゃべりしたり、携帯をいじりながらも、通りを人が行けば売り込む相手やタイミングを伺っている。
昼間の中華街の路地裏の、いかにも危うそうな女を買う気などさらさらなかった。私は軽く首を振ってそのままその場を通り過ぎた。
それでも、騒がしい目抜き通りからほんの50メートルも離れていない場所で目にした猥雑な別世界の有様はとても刺激的であり、体を売る方の気も知らずに言わせてもらえば、そんな中華街の「混沌」とした様相にはかなり惹かれるものがあった。
ヤワラート通り「チャイナタウンホテル(中国大酒店)S」の向かい側辺りに位置する路地。この奥で何人かの立ちんぼに遭遇した。
この通りにはマッサージ店や食堂なども入り込んでいる。まっすぐに進んでいくと左にカーブしたのち一本通りを挟みつつまた細い路地が続いていく。
こういう怪しい路地は物好きには堪らない。警戒心を保ちつつ、好奇心の翼を広げて前進してゆく。
さっきと同じように別の女性たちが路肩に屯していはしないだろいうか、そんなことを心のどこかで期待していた。
中華街のまだ見ぬ表情に出会うことができればそれがこの散策の大きな成果だった。
同時に、狂暴な野良犬との不運な遭遇がないことを願ってもいた。すでに今回の訪タイで数回に渡り野犬に威嚇されて怖い思いをしていたからだ。
カオサンロードの路地裏で、アユタヤの夜道で、私はすでに何度かチンピラ犬に絡まれていた。ちょっとしたトラウマ(イヌ?)になっていた。
ところが、こと中華街においては、野良犬の数が非常に少なかった。
三日間に及んだ探索の中で見かけた野良犬の数は、わずか2~3匹に留まったのだった。そういう点からも中華街には好印象を抱いていた。
野良犬の少ないチャイナタウンに気を良くして、遭遇した可愛らしいペットを撮影。
燕の巣入りのスープでお茶する
さて、穏やかで先の見えない路地をとぼとぼと歩いてゆく。
観光客が訪れそうにもない簡素な屋台、時計屋さん、路肩にはみ出すように干された洗濯物。
庶民の生活の香りをたっぷりと吸い込みながら、やっとのことで太めの通りに脱出できた。
炎天下の散策によってさすがに体力の消耗が激しかった。
どこかでゆっくりと腰を下ろしてお茶でも飲みながら休憩したい。ふと、数年前に初めて中華街を訪れた際に立ち寄ったとある店のことを思い出した。
その店はこの通り沿いに位置し、少しヤワラート通りの方へ戻ったところにある。
あの時初めて味わった燕の巣入りのスープ、それに一緒に飲んだお茶の味、何かのほんのりとした甘さもなんとなく覚えていた。
くわえて、どうでもいい話だが、数人の若い従業員たちが店長らしき男に終始説教を食らっていた様子もどうやら印象深かったようで記憶に残っていた。
行ってみることにした。
結局、ヤワラートから路地に入り、コの字にぐるりと戻って来る形になったわけだ。
東方燕窩(G)、ヤワラート通り側から撮影。『燕窩(燕の巣入りスープ)』と『魚翅(フカヒレ)』の二つの漢字を模した看板が中華街の至る所に溢れている。どの店に入るかは、、、あなた次第。
一風変わった「燕の巣入りのスープinココナッツ」をオーダー。
「ほんのり甘い記憶」はこれだった。蜂蜜と栗が歩き疲れた体によく染みる。お茶は無料でお替りできる。
ココココナッツ内側の「白い層」は、ほどよい甘みを醸す脂質?は美味い。
店内には燕の巣が詰められたガラスの大瓶がところ狭しに並んでいる。
もちろんこの店ではフカヒレスープも扱っている。節約旅行、今回は予算の関係でフカヒレはお預けに、、、。
食後のひと時に浸っていた。目の前には空っぽのココナッツが残り、なんだかちょっとだけ物足りなさを感じていた。
というのは、「スープをココナッツに入れる」というアイデア自体はとても面白く、たしかに若干の風味も香りはしたのだが、でもそれだけか?といった少々我儘な思いだった。
と、面白いもので、そこへ助け舟が現れた。
なんと、斜め前にいた中国系の女性客がココナッツの内側の「白い層」を美味しそうに食しているではないか。
(え?そこも、食べれんの?!)
なぜか、いつになく嬉しかった。まだ楽しみは残っていたんだ、、、。喜び勇んで私はスプーンをかざした。
脂質のようなその部分はかぽっと外側から贅沢に外れた。
(この全てを、独り占めできるのか、、、)
どんな味なのかも知らずに、だが、きっと美味いという確信に満ち溢れていた。
はやる気持ちを抑えながら一口サイズにカットする。
噛むと、さくさくと砕け散りながら披露して見せたのは、どこかミルキーでほのかな甘みだった。多少の脂っぽい性格も、嫌味じゃない。
侮っていた。
あわや、食べ残すところだった。
その、中国系の女性(女神)が先に店を出た。心の中で、後ろ姿にワイをした。
観光客で溢れる屋台街
ヤワラート通りのちょうど中心に位置する辺りには、夜になると人でごった返す屋台街がある。
あまりに込み合っていたし一人だったのそこに混ざって食べる気にはなれなかったのだが、複数での旅行するならこういった場所でわいわい食べるのも楽しいはず。
盛大なにぎわいを見せる夜の屋台街の一角。観光客だろうか、行列すらできている。
病みつきになる美味い食堂
ヤワラート通りには中華料理屋や食堂がひしめき合っている。
節約旅行者の私はなるべく手ごろでうまい食堂を探していたのだが、いい場所を見つけたので紹介したい。
その食堂はヤワラート通りに面したホテルロイヤルバンコク(F)のちょうど向かい側辺りに位置しており、いつ訪れても地元の華僑や旅行者で大盛況の人気店だ。
店員は商売上手な華僑、働きぶりも日本人張りにテキパキとしたもので、ここがタイの中の異国であることを再確認させられる。
値段も、ご飯に各種肉が乗ったものが50バーツほどから食べられ、スープも安いのでよくセットで頼んでいた。路地側の一番奥のテーブルを上席にしていた。
夕方、ヤワラート通りの歩道に現れる屋台で、喧噪に塗れながら食するメシも悪くない。
すっかり中華街になじんでいたのか、それとも顔のせいだろうか、タイ語で「いくらですか?」と店主のおばちゃんに尋ねたのに、中国人と間違われたようで中国語で答えが返ってきて戸惑う。
「ポン イープン クラップ(私は日本人です)」というと、店主もやっとタイ語に切り替わる。たまたま相席になった若いタイ人男性も「彼は日本人だってよ」みたいなことを言って補足してくれたようだ。
タイで中国人や韓国人と間違われることには、もう慣れてしまった、、、。
プルンプルンのダックに、味付け卵をトッピング。60バーツ前後。
日が落ちるとがらりと変わる7月22日ロータリー周辺
ヤワラート通りから北に外れた辺りに、7月22日ロータリー(E)という名の噴水のある公園がある。
タイ王国(当時のシャム)が、1917年7月22日に第一次世界大戦への参戦を決意したことを記念して、チャルン・クルン通りの北側にあった通りを7月22日通りと名付けられた。
そして、後から通りの中心に建設されたロータリーが7月22日ロータリーとなったわけだ。
タイ語では「ウォンウィエン・イーシップソーン・カラッカダーコム」というらしい。
7月22日ロータリー中心の噴水周辺。かつては娼婦、男娼、ドラッグディーラーたちの巣窟になっていたというエリア。昼間は長閑な公園なのだが今でも暗くなると、、、。
このロータリー周辺は、1990年代まで日本人旅行者の旅の拠点として有名な場所であった。当時、周辺にはたくさんの旅社があり、バンコク入りしたらまずこの場所を目指す旅人も多かったという。
この一帯は、派手で賑やかなヤワラート通りとは対照的だ。
タイの発展から取り残されたような哀愁にはどうしても放っておけない魅力があり、くすんだ色の街並みには売春やドラッグの香りが染みついているかのようだ。
建築中の建物の鮮やかな色合いが、せっかくの街の哀愁を少しずつ消し取ってゆく。再開発が進み、数年後には全く新しい綺麗でスタイリッシュな街になってしまうのかもしれない。
現在では閉鎖されてしまったのだが、谷恒生の小説「バンコク楽宮ホテル」で有名になったという「楽宮旅社」があったのはロータリーから放射状に伸びる通りのうち東側の一本「サンティパープ通り」だ。
この街の過去を想いながら、昼と夜、ロータリー周辺を歩いてみた。
サンティパープ通りで、通りかかったおじさんに地図を見せながら楽宮旅社があった位置を確認する。
すると、”Lomg time ago, many Japanese”
目の前のくすんだ色の建物を指差しながら教えてくれた。楽宮旅社があったのはやはり、この辺りで間違いないようだ。なにも知らないで歩いたら在り来たりなただの通りに過ぎないのだが、今の私にはそうは思えない。
私は、カオサンロードやルンピニーをタイ行脚の拠点とする2000年代前半の旅人だ。
しかし、90年代まではこの辺りが日本の個人旅行者のたまり場になっていたわけだ。その中には、売春やドラックに溺れ、退廃した暮らしの中にあった者も少なくなかったと聞く。いろんな人生のドラマがあったのだろうと、建物を眺めながらしばし感慨に耽る。
建物の裏手の路地の方にはちょっとした屋台などもあり、知らないはずの過去の旅人の亡霊がそこに見えるような気さえした。哀感の漂う不思議なエリアであった。
サンティパープ通り。この建物のどこかに「楽宮旅社(H)」があったようである。
7月22日ロータリーの南東に面して建っているのが「ジュライホテル(I)」であった。どうやらこの宿は1995年秋に閉館してしまったということだ。
まだこのエリアが日本人旅行者で溢れていた時代、楽宮旅社よりもこのジュライホテルの方が日本人旅行者のたまり場として有名であった。
常時30,40人ほどの日本人が滞在していたという話もあり、「悪名高き」とか「麻薬の巣窟」などどいう、決して誇ることはできない文句と共に語られた場所だ。
ドタックと売春に溺れた一部の日本人旅行者たちが、ここでずいぶんと退廃的な暮らしを送っていたようである。
1995年秋に閉館した言われるジュライホテルだった建物(I)。ここは「バンコクの日本人宿」として有名だった。
ロータリーの南西側にあるはずの台北ホテルを探していた。すぐにそれらしき建物を見つけた。
建物の上の方にはたしかに「旅社」という文字が見える。しかし、どうも営業しているようには見えなかった。
通りの反対側にしばらく佇んだまま、何枚か写真を撮ったりして過ごす。
そこへ、周辺住民と思しき男がこちらを気にかけた様子で通りかかった。私は建物を指してやっているのかどうか尋ねた。
すると案の定、”Bankrupt(倒産)”という単語が返ってきた。
それはいつの話かと続けてきくと、”1 year”、どうやら閉鎖したのはここ最近の話のようである。彼は最後に「オーナー」がどうたらこうたら、と言って歩き去ったのだが、語尾が濁ってよく聞き取ることができなかった。
この台北ホテルも、楽宮旅社、ジュライホテルと並ぶ、日本人の中では名の通った宿だったようだ。
成興旅社
ロータリーから南東に伸びるマイトリチット通り沿いに、やっと一軒の「旅社」を見つけた。薄暗い階段入り口には黄金色で「成興旅社(K)」とある。
恐る恐る上がっていく。すると、テレビの音が聞こえてくる。
目の前に現れた鉄条の掛かった受付カウンターと周辺の投げやりな雰囲気に違和感を抱く。どうも普通の宿の雰囲気ではない気がした。それは、すでに閉鎖した宿、といった様相だった。
私が上がってきたことに気が付かない中年の女性が、手すりの脇にごろ寝してテレビの画面をぼんやりと眺めている。
「すいません」と声をかけ、空いている部屋があるかと尋ねるが、どうも様子がおかしい。
部屋を見たいというのだが、なかなか英語が通じず、向こうも部屋に関すること以外の何かを話しているのだがこちらも向こうの話すタイ語がほとんどわからず、かろうじて掌広げて言った「500バーツ」だけを聞き取れる始末。
500バーツ?この汚さにしてはどうもバカ高い値段。それで、もしやここは置屋なのかという疑念が浮かぶ。
一部屋で500バーツはおかしいが、ショートタイム500バーツだと考えるとまあ合点が行くからだ。
中年女性は、いったん奥の方に消えた。予感がした。きっと別の女性を連れてくる。それしか考えられない。
すぐに、褐色の肌の、オレンジ色のTシャツ姿の30代ほどの女性がさばさばした立出で現れた。きっと望みさえすれば、私はその娼婦と寝ることが出来たのだろう。
“Hello,,,”
その女の第一声には少々気だるさが籠っていた。その心境は(こんな昼間っから、まったくもの好きな客ねえ)といったところだろうか、、、。
そんなつもりが微塵もなかった私は慌てて断りを入れ、先のおばちゃんに礼を言い残してその場を後にした。後で調べてみるとやはり、この旅社には商売女が住み込みで生活している、というようなことがわかった。
しかし、一方で地球の歩き方(’11~’13年版)の中華街周辺地図にはあたかも健全な安宿のように紹介されていた。ということは、「それ」目的ではない一般の宿泊客も受け入れているということなのだろうか?
左上の看板下が入り口。地球の歩き方にも紹介されていた場末の雰囲気漂う「成興旅社(K)」はホテル兼置屋?
このマイトリッチ通りをさらに南へ下っていくと、路肩に屯する女性たちがいる。建物の階段にも一人、半そでに短パン姿の30代と思しき女性が座り込んでいる。
彼女たちもどうやら売春婦のようで、色目を使ったり、”pai nai?(どこ行くの?)”などとお決まりの仕方で声をかけてくる。両手を広げて上下にパンパンと打ち合わせるあのジェスチャーも飛び出す。
後で地図を調べてみると、この場所にはちょうど「三合吉(L)」という旅社があった。あの背後の階段の奥が旅社になっているのだろうか。
この辺りには中年女性ばかりだったが、中には20代らしき若い女性もいた。おそらく旅社内にも娼婦がいるのだろう。
路肩に座り込み、精気のない濁った眼で見つめてくる不気味な中年女性は特に印象に残ったが、彼女も娼婦違いなかったった。
そのさらに先へ歩き進むと「クレオパトラ(M)」というMP(マッサージパーラー)がある。
店の前をうろうろしていると、中から中年女性が出てきて「マッサージ、トゥーオクロック、オープン」と教えてくれた。彼女は通りの反対側の寺院に向かってワイをして再び店内に引っ込んだ。
まだ午後一時を回ったばかりであった。
午後二時からオープンするという「クレオパトラ(M)」はMP(マッサージパーラー)。以前は「ハーレム」という店名だったが、泡姫からエイズ患者が出たのをきっかけにクレオパトラに変わったという話もある。
夜のロータリー周辺
昼間は長閑な7月22日ロータリー周辺は、夜になると変貌する。
周辺を歩いてみると分かるが、ロータリーと放射線状に伸びるソイ(通り)周辺にフリーの街娼たちの姿が現れる。
まだ時刻は午後7時を回ったばかりだったが、ざっと10名以上の街娼たちを目撃することになった。
屋台で腹ごしらえの最中に色目を使ってくる女がいるかと思えば、テーブルに座った中年欧米人男性に三人の若いタイ女が言い寄っている。
断られた様子の3人組が、今度は通りがかった私を誘う。
噂には聞いていたが、この時間帯からすでに娼婦がうろついてることに驚いた。
ロータリーをぐるりと一周する。中央の噴水では若者たちが玉蹴りで盛り上がっている。その健全さと周辺に屯する街娼たちとの妙なコントラストが気になる。
ロータリーから西に伸びたソイを試す。この通りが最も多かった。
すぐにハンドバックを下げた若い女の子と目が合い、誘ってくる。
通りの端で、ぺちゃくちゃしゃべっていた3人組は、私が前を通ると話をやめてじっと見つめて反応を探る。
この子たちも街娼に違いない。しかしまだあどけなく、まるで家出した少女たちが夜の街で時間を持て余しているかのようだ。
この通りには5~6人を立っていた。
ぐるりとマイトリチット通りの方へ回る道すがら、今度は中年のたちんぼだ。
濁った瞳は、昼間の不気味な彼女だった。路肩に同じように座りこんだまま、うつろな表情をこちらに向けてくる。夜は一層不気味だ。
そこから少し歩くと今度は、ニコニコぶつぶつと一人ごとを発するいかれた風な女だ。
素通りしたが、なんだかゾクゾクする。
離れた所から振り返ってみると、片手を電柱にかけたままこちらに向かってなにやら騒いでいるではないか。
怖いぞ。私は足早に立ち去った。
この夜歩いたのはソイと呼ばれる車が通れるほどの太さの通り。当然、さらに細い「路地」もソイから枝を広げている。中華街に限ったことでもないが、当然夜にこうした路地を独りで歩くのは避けた方がよいだろう。
ヤワラート通りの気になるホテル、フアランポーン駅近くのゲストハウス
一般の観光客がバンコクの中華街に宿泊するのなら、やはりヤワラート通りに面したホテルを選ぶべきだろう。中心地の雰囲気を堪能できる。
私は今回、少し離れたファランポーン駅周辺にある安宿やゲストハウスに宿泊したわけだが、ヤワラート通りを歩いてみて特に印象に残ったホテルを紹介したいと思う。
シャンハイマンションバンコク(N)
おしゃれなデザインの外観がひときわ異彩を放っていたシャンハイマンションバンコク。
ヤワラート通りには何件ものホテルがある中でどこに泊まるのか否か、やはりこの個性は決め手になりうるだろう。
一カ月という長期の節約旅行、結局このホテルは予算オーバーで次回にお預けになってしまったのだが、それでも最後まで泊まろうかどうか迷った魅力的なホテルだった。
伝統的な中国様式をモチーフにしており、各部屋ごとに異なるレトロチャイナが楽しめるのだとか。
「ブティックホテル」ということで決して規模は大きくないものの、館内にはジャズバー、レストランなどが併設されている。
地下鉄フアランポーン駅から徒歩10分ほど。
グランドチャイナホテル Grand China Hotel(O)
ヤワラート通りの中心部に堂々とそそり立つグランドチャイナホテル。
部屋によってはヤワラート通りを一望できそうだし、その規模からしてここに泊まれば間違いないかなと思わされる。
プール、ホテル、マッサージなどの設備が揃い、チャイナタウンの夜景が一望できる良質なレストランも併設されている。
フアランポーン駅から徒歩となるとかなり遠いのでトゥクトゥクやタクシーでの移動が便利だろう。
ちなみにチャイナタウン側まで伸びる予定だという建設中の地下鉄が完成すれば交通の便はさらに良好になるはずだ。
@ Hualampong Hostel(P)
地下鉄フワランポーン駅4番出口を出てすぐ目の前にあるアットフワランポーンホステル。
※ちなみに「フアランポーン」も「フワランポーン」も同じ地名を指します。
中の受付カウンターにパンフレットをもらいに入って行くと、愛想のいい明るい女性がきちんとした英語で対応してくれた。
彼女は日本が好きでいつか旅行に行きたいらしく、私が日本からの旅行者だと分かると、京都や花見についての質問を受けた。
さて、そんな従業員とモダンでスタイリッシュな造りにとても好印象を受ける。
ホステルということでゲストハウスよりも値段は高めだが、4ベッドのコンドミニアムは400バーツ、スタンダードシングルベッドルームが750バーツ、最も高い部屋でデュレックスダブルベッドルームの1290バーツとなっている。
wifi、エアコン、テレビなどの無料サービスも充実しており、アクセスも申し分なしの立地だ。
上記のホテルに加えて、ヤワラート通り並びにフアランポーン駅周辺などを含めたチャイナタウン周辺のホテルやゲストハウスの予約はこちらのサイトからすることができる。
ホテルと航空券のお得なセット予約も可能となっており、航空券予約手数料が無料、セット予約でホテルが最大半額になることもあるのでぜひとも試してみて欲しい。
フアランポーン駅周辺のおすすめゲストハウス
フアランポーン駅周辺にも安宿やゲストハウスが点在している。
あなたが節約旅行者ならばヤワラート通りに面したホテルよりもこちらの方が適しているかもしれない。
私もチャイナタウンをうろついた三日間は、こうした安宿を転々とした。
お勧めの宿、お勧めできない宿、それぞれを紹介したいと思う。
フアランポーン駅からほど近い場所に、ゲストハウスが集まる静かな一角がある。
フアランポーン駅四番出口から地上に上がり、ラーマ四世通りを東へ五分ほど歩いてゆくと、ソイの入り口に数枚のゲストハウスの看板が出ており、この奥に三件ほどのゲストハウスが集まっている。
地下鉄フアランポーン駅や中華街へのアクセスは良好。目と鼻の先のラーマ四世通り沿いには屋台やコンビニなどもあり便利。
Your Place Guest House(Q)
シングルルームで朝食付き、一泊350バーツのYour Place Guesthouseだ。
スタッフはそれなりにフレンドリーだしおしゃれでカラフルな内装で晴れやかな気分に。
無料wifi、共同シャワートイレも清潔でお湯も出る。
各階にテラスがあり、雰囲気もなかなかいい。
質素な朝食。「二杯目から有料」と書いてあったコーヒーだが、なぜか無料でお替りできた。
Baan Hualampong(R)
Your Place Guest Houseの真向かいにあるBaan Hualampong。ここはもう少し落ち着いた佇まいをしている。
先述のYour Place Guest Houseの真向かいに位置しているのが Baan Hualampongというゲストハウス。落ち着いたたたずまいで、シングルルームは一泊300バーツとお手ごろな値段だ。
無料wifi、全体的に清潔で共同シャワートイレはお湯が出るし洗面所はなかなかおしゃれ。
朝食は付いていないが、一回のキッチンや冷蔵庫を自由に使うことができるので、自分で食材を調達してきて料理したり飲食物を保管しておくことも出来る。有料だが、洗濯機もある。
これ、節約旅行にはとてもありがたい設備である。
受付カウンター。対応してくれたおっとりした性格のおばちゃんはとても親切で、私が日本人と分かると「コンニチワー」なんて言ってくれた。
こちらのBaan Hua Lumpong、私が訪れた時はたまたま部屋が空いていたのだが、ホテルの予約サイトなどで検索をかけても出てこないため、予約の場合はゲストハウスに直接問い合わせる必要がありそうだ。
予約なしでふらりと行っても泊まれそうな気はするが、参考までにホームページのリンクを貼っておくことにする。Baan Hua Lumpong
もう嫌、 Station Hotel(T)
奥の建物がStation Hotel。立地は申し分ないのだが、、、。
Station Hotelという名前の通り、「国鉄フアランポーン駅と地下鉄フアランポーン駅三番出口の目の前」というロケーションこそ素晴らしいのだが、ホテルそのものは非常に古くサービスの質も悪いと言わざる負えない。
周辺には雑貨屋に衣類関係の店、屋台やレストラン、コンビニなどもあり、本当に立地は申し分ないゆえに残念だ。
ホテル入り口。ロングムアン通りから食堂の脇の路地を奥に進むとたどり着ける。
シングルルームは一泊280バーツと決して高いというわけではない。
部屋は5階、ところがエレベーターが故障したまま放置されており、なんと階段で上り下りしなければならない。
はたして、どんな部屋だろう?期待はさらさら無い。ひたすら5階を目指す。
外観も去ることながら、内側も古びていて気が滅入る。従業員に綺麗で明るい女性でもいればまだ救われるのだが、受付にそういったフレッシュさはない。
やっとたどり着いた5階で私を待っていたのは、惨憺たる有様の部屋であった。
暗い気持ちにさせられる部屋。入ってすぐに、早く出たいと思った。
トイレは伝統的なタイの様式。私はこの手の便器を「スフィンクスタイプ」と呼んでいる。
もちろん、古いこと自体は問題ない。だが、窓が閉まらないのはどういうことだ?
強張って頑固に閉まらない窓、これ以上力を入れたら壊れてしまいそうで諦めた。
不運なことに、ここ二、三日の間、バンコクは半袖では肌寒いほどの寒さに見舞われていた。閉まらない窓の外からは、ビル風が容赦なくびゅびゅーと入り込んで来る。
嫌な予感がしていた。
洗面所の途切れたパイプから水がびちゃびちゃと落ちる。物理的に当然のことなのだが、びっくりする。
そんな気の滅入る水場を忘れさせてくれるはずの敷居戸は、「ハフッ」と頼りなく締まるものの、壊れた窓から入り込む風に押され突然開いたりしてゾッとする。
椅子を置いて扉を完全に封鎖することにする。しかしこの椅子も座れば崩れ落ちそうなほど不安定なボロボロの代物、風圧に耐えられずすぐに押し負かされてしまう。
よろよろの椅子。結局この上にバックパックを乗せてやっと扉を封鎖した。
机の引き出しを恐る恐る開けると、こ汚い”Notice”が。備品の持ちだしを禁ずるという警告も、ギャグとしか思えない。
これまでの経験から考えても、この部屋は100バーツで十分だろう。
そんなことを固いベッドの上で考えていると、カーテンの裏の窓も悲惨な状況になっていることに気が付く。
窓の中央部のガラスがすっぽりと抜けており、枠組みだけしかない。しかも、網戸もぼろぼろで、半開きの枠も固くてまったく閉まらない。
なんだこりゃ。
30度を超えるいつもの暑さならば蚊の襲撃を心配するところだが、なんせ今日は蚊も外に出られないほど冷え込んだバンコクだ。
日が落ちればさらに温度は下がる。
窓の外を覗くと、注射器が捨てられている。過去の旅人が投げ捨てたものだろう。
ちなみに水場の窓の外には、使い古しの黄ばんだコンドームがあった。
注射器とコンドーム、、、。
この二つのアイテムとの遭遇に、自分がバンコクの中華街にいるのだという事実を改めて認識させられる。「麻薬の巣窟」「悪名高き」という文句を思い出す。
日が落ち、案の定、一段と寒くなった室内。タオルケットを借りるために一階の受付まで降りてゆく。
あまりやる気のなさそうな中年男性に訳を説明し何か羽織る物が欲しいと伝えるのだが、ない、貸せないの一点張り。
今日がいつになく寒いことは向こうも承知のはずだし、窓が壊れて風が吹き込んで来ることもきちんと伝えたのだが、結局貸してくれたのは追加のバスタオルだけだった。
仕方ない。二枚になったバスタオルだが、どちらも微妙なサイズで頼りない。
タオルケットも用意できずにいったい何がホテルだ、と内心、珍しく悪態をつく私。
部屋に戻り、できるだけ厚着する。真冬の仙台から成田まで向かった際の恰好にさらに手を加えた。
ハーフパンツの上にジーパンを重ね着し、ヒートテックとアロハシャツと長袖シャツ、その上にユニクロのウルトラライトダウンを羽織る。
自前のタオルを首に巻き、バスタオル二枚を下半身に巻いて完成。
さて、これでどうだろう。しばらく横になり、体の反応を待つ。
だめだ、寒い、、、。体がどんどん冷えてゆくようだ。ここは本当に南国なのか。
タイで寒い思いをするとすれば、冷房の効きすぎた長距離バスくらいだろうと高をくくっていたのだが、まさかチャイナタウンにも極寒の地があるとは、、、。
ホンソンウイスキーを割らずにぐびぐびとやってそのまま寝付く作戦はうまくいかなかった。
飲みながら「つーかタオルケットないホテルなんてあんの!?」と一人半笑い、ぶつぶつと連呼していた。無情すぎやしないか。
うつぶせになったり、横向きになったりして、できるだけ体温を保ちながらじっと朝を待った。
はじめて寝袋の必要性を感じた。いや、このホテルに泊まらなければよいだけだったのかもしれない。
浅い眠りの末、すっきりとしない朝を迎えた。体の疲れはいまいち抜けていなかったが、幸いにも風邪の予兆はなかった。安心した。もうこのホテルには二度と泊まらないつもりだ。
タイにおいて私の中のワースト1は、今のところこの Station Hotelとなってしまった。
Station Hotelを出てすぐの屋台にて。日本語のメニューも用意されている。ビーフサラダ80バーツ、LEO50バーツ。
タイのお土産を通販で買う
タイ旅行のお土産は日本から通販で買うこともできる。
通販で買えるのはお菓子や酒類、小物類などの定番商品が中心となり、職場や友人に無難なお土産を配るのに向いている。
現地から身軽に帰国したい場合や帰国後の買い忘れの補充にも最適。
タイのお土産通販サイトはこちらの記事を参考に。
細いんですけど、「豹変」ではなくて「激変」とすべきですよ。間違えてはいないとおもいますが、豹変だと意味が少し違います。豹変は悪い方向に変わる意味で用いられますし、ほとんど人格を示すものです。街を指す場合は激変とすべきです。
あ さん
ご指摘ありがとうございます。
勉強になりました。
大変、楽しく拝読させていただきました。文章も写真も実に興味深く、実に素晴らしいです。私もタイで野犬に絡まれて怖い思いしました(笑)これからも、さらなるレポートお願いします。楽しみにしています。
ソムオさん
コメントありがとうございます。
私の訪タイ時の最大の心配事は、野良犬です。
近々訪タイしますので、レポート楽しみにしていてください。
hekison30 さん
先日、アユタヤ方面行って参りました。昼間はけっこう暑いのですが朝晩は本当に涼しく過ごしやすいのは良いのですが、野良犬たちが夜になるとにわかに元気になり、唸られたり、威嚇されて怖かったです汗
私もその昔はルンピニー辺りのプライバシーホテルを常宿にしておりました。ではまた、タイの路地裏レポ楽しみにしてます。
私もアユタヤで何度か威嚇されたことがあります。郊外の野良犬は要注意です。昼間から吠えられるならまだ筋が通っていますが、涼しくなった夕方頃から勝手に元気になり、罪のない旅行者に攻撃的になるという根性がどうしても好きになれません。ルンピニーは今でも私の基点です。それではまた。