私は出発直前のパッキングに関する記事の中で、
ガイドブック(地球の歩き方)を持っていくつもりだと書いた。
しかし、更に直前で気が変わり、結局ガイドブックは持っていかないことにした。
ガイドブックという「保険」が旅の醍醐味を奪う
なぜ気が変わったかというと、やはり「地球の歩き方は結構重い」ということがひとつ。
もう一つは、これがなくても旅は出来るはずなのに、なぜ持って行こうとしているのだろう、、、
と考えて見ると、
「念のために、一応もっていこう」
と言った「保険」のような発想で、もうその考え方自体が非常に嫌になり結局置いてきたのだ。
ちなみに「カンタン旅会話〜タイ語」は持ってきた。
これは実際使ってみると、短期の旅行には向いているけれど長期の旅にはものたりない内容となっている。
シチュエーションごとに役立ちそうな文章がのっていて、基本的な会話は網羅しているのだが、
タイの人と普通の会話をしようとした時にほとんど役に立たない。
そのように作られているのだからしょうがないのだが。
「旅」をしたいのである
さて、タイの地に降り立って20日以上が経過したわけだけれど、ガイドブックがないことでそこまで困った思いは、やはりしていない。
確かに多少道に迷ったり、金銭的に損をしてしまったり、
安いゲストハウスを探して小一時間街をさまよったりすることはよくある。
そういうことすら嫌な人にはガイドブックは必須だと思うけれど、
自分にとってはそれも旅の醍醐味の一つだから案外平気でいられる。
長期の旅で時間的に余裕があること、
一人の気ままな旅であること、
たとえ長時間歩いても小さな発見の連続があるし、人に尋ねたりするのが苦にならない性格であることも大きい。
そもそも、自分は「観光」じゃなくて「旅」をしているのだから
快適さなど初めから求めていないという前提もある。
それに各街で簡単な地図は手に入る。
人に尋ねれば、その街の情報も手に入る。
体力と気力があれば、一時間から二時間ほど歩き回り、街を身をもって理解することもできる。
今泊まっている宿もガイドブックに載っているのかもしれない。
でも、本に誘導されて辿り着くのと、自分の勘を頼りに見つけたことの違いは少なくとも自分にとってはとても大きいことだ。
今回の旅の主な目的は、自分の決めたトピックについて調べることであり、
普通の観光ではないので、余計に必要なかったということもある。
ちなみにipadは持ってきたが、ブログ更新以外にはほとんど使っていない。
ブログの更新もほとんどしていないけれど。
わからなければ片言のタイ語か英語で聞いてみれば、親切な人が多いタイでは十分にやって行ける。
ガイドブックから解放されることには、ちょっとした爽快感があるものだ。