今年の初めに行った二週間のタイ一人旅。
ちょっとした冒険心から掲げた旅のテーマは「虫料理に挑む」だった。
恐れながらもぱくり
バンコク、コラート、チェンマイ。
路上で出くわす屋台の不気味な昆虫たちに慄きながらもなんとか一通りの虫を平らげ旅を終えた。
今の所、体に異常はない(笑)。
幼年時代、近所の床屋で初めて食べたイナゴの佃煮。
その一匹を最後に以後虫食と縁はなかった。
虫料理。
嫌悪する人がほとんどでしょう?
俺もそうだった。
でも、意外と食べれてしまい、ものによってはおいしいのです。
塩味の効いた香ばしいイナゴや蛹。
最大の難関だったタガメも美人のタイ人女性に分解してもらうとすんなり食べれた。
タイは虫料理がさかん
バンコクなどの屋台では、サッと揚げたタイワンイナゴの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。揚げると淡いピンクに染まり、いっそう食欲をそそる。多彩な食材の出回る雨期の到来を告げる旬の味だ。(P61)
虫料理は慣れれば誰でも食べられる(アレルギー注意)
人の味覚、好みは幼児期に決まるといわれる。食べ物の場合も同じで、八回から十回も摂取を経験すると、私たちはその食べ物を好きになっていくことが確かめられている。(P92)
幼少のころ唯一苦手だったレバー。
無理して何度も食べているうちにいつの間にか食べられるようになり、
今では焼き鳥屋で必ず注文。
虫料理。
さすがに好物とまではいかない。
しかし旅を通して慣れた今は「虫」じゃなくリアルな「食材」として見れるようになった。
肉や魚のように。
すこしの勇気と冒険心、忍耐を発揮した、俺は食の開拓民として嫌悪感を乗り越えその先のフロンティアを目指す。
虫料理で現代人の感性を取り戻す!?
私たちは自分の五感よりも、消費期限や賞味期限を安全の基準としているし、グルメ雑誌やテレビの料理番組の情報をおいしさの基準としている。(P136)
「昆虫食の試食は、五感によって、じっさいに即してみずから働きかけて獲得していくプロセスを持ったリアリティある知識作りだ、、、、、、」野中健一(P137)
五感を通した異文化理解の魅力と、
そこで生まれる新感覚をまた味わってみたい。
虫以外でもね。
賛否両論
ネットを調べてみると昆虫料理の可能性について議論が盛り上がっているよう。
「食糧難を解決し得る救世主」「見た目の壁をどう突破できるか」「死んでも食べたくない!」。
人口増加と食糧難。
いまのうちに慣れておくのが利口な選択なのかもしれない。
私はすでに、いつ食卓に出てきても「やあ、待っていたよ」、仲良くできるかなと思う。
さすがにまだ、この本の筆者のように自分でとって料理して、とまではいかないけれど、、、。
恐竜に追われ、夜に逃れた私たちの祖先は、食糧確保が難しく、仲間との奪い合いを避けるために群れを作らず、単独行動を原則としたようだ。時々、筆者は一人で夜の雑木林に入って虫を食べることがある。原始ほ乳類の感じた恐竜の恐怖をわずかでも追体験したいと考えたからだ。昆虫食のもともとの意味を忘れないためである。(P15)
30年前の西洋の旅行ガイドには「日本には魚を生で出す妙なレストランがあるから注意しましょう」と載っていたそう。
今、世界中で寿司が食べられている。
さて、虫はいかに。
最後にしめの言葉を
「私たちが昆虫を食べないのは、昆虫がきたならしく、吐き気をもよおすからではない。そうではなく、私たちは昆虫を食べないがゆえに、それはきたならしく、吐き気をもよおすものなのである」文化人類学者、マーヴィン・ハリス(P90)