「本社にゃ分からねぇよ」と寅さん。photo by Jeff Laitila
東南アジア駐在員たちの「悲喜劇」「奮闘」のオンパレード。各国を拠点にするライターから上がってきたエピソードの数々を、アジアを渡り歩く旅行記作家、下川裕治氏が編んだ一冊である。
運転手付きの社用車、宮殿のごときリッチなコンドミニアム、湯水のごとく使える経費。こういった駐在員のイメージは一昔前のものかもしれないし、はたまた、いまだに健在の「甘い汁」なのかもしれない。
本書にはとりわけ、東南アジア駐在員の「つらい」思いが詰まっている。
所変われば品変わり、文化や習慣、宗教や社会状況の違いの中で、日本人と東南アジアの人々の労働観や人生観もまた、意外なほど異なっていた。
東南アジア「ならでは」と言えるトラブルや恐怖のハプニングには驚愕する。そんな中、忍耐強く柔軟に、本社との板挟みの中でもがきながら活路を見出してゆく駐在員たちの姿が、時にシリアスに、時にユーモラスな筆致で描き出されている。
本書を読みながら思わずクスっと笑ってしまったり、悪行三昧の現地社員たちの諸行に「考えられねぇ、、、」と度肝を抜かれる場面もしばしばだった。中盤にさしかかったあたりでは、同情の念も生まれた。
タイのねっとりとした風や、バンコクの混沌、炎熱、煌びやかな夜のネオン。私自身の旅の記憶を辿りながらも、本書の舞台となるいまだ訪れたことのない周辺国にも想像の羽を広げつつ、さくさくと読み進んだ。
緩くて、どこか拍子抜けする、呑気な感じ。それは東南アジアの魅力の一つであり、そんな雰囲気が私は嫌いじゃない。ところが呑気な旅行とじっさいに現地の人々と働くのとでは訳が違っていて、駐在員たちの「つらさ」のいくつかは、そういったかの国々の「魅力」とも表裏一体のように見える。
本書を読みはじめると、突然ベトナムのスコールに見舞われる。まずは第一章、「すぐ休む人々」の「スコールだと遅刻は当たり前」という軽めのジャブ。まあまあ、スコールで遅刻ぐらいはと、肩慣らしのようなエピソードで幕を開ける。
その後は、
2、働かない人々
3、会社を私物化する人々
4、身勝手な人々
5、会社の金を使いこむ人々
6、すぐに訴える人々
7、役人な人々
8、宗教で生きる人々
9、才能ある人々
10、不運に見舞われた人々
11、日本を持ち込む人々
と、ユニークな人々によるショッキングなエピソードのオンパレード、そして駐在員の心は終始、雨模様。
痺れを切らした駐在員の怒号が飛ぶ場面も。ところがそれをやったら最後、現地社員の「辞めます」の返り打ちに遭う。
感情に任せた叱責によってことが上手く進まないのは万国共通かもしれないが、例えばタイでは尚更のようだ。
タイ人はプライドが高いというのは有名な話かもしれないが、本書もまた辛辣に口を揃える、「タイ人はプライドだけは高い」と。
人前で面子を潰したり、叱り飛ばすなんてタブー、社員は会社を簡単に去り、残りの社員からも透明人間扱いされ兼ねない。
タイで知り合った日系のIT企業に勤めるとある日本人男性もまた、似たような事をこぼしていた。
「遅刻や仕事中のネットサーフィンは当たり前。でも、注意すると気分を害して帰宅してしまうからむやみに怒れないんです」と。
はて、南国のスコールはもしや、駐在員たちの涙か。
南国のスコールは、駐在員たちの涙かもしれない。photo by 174125
日本でなら考えられない東南アジア各国の「あるある」「いるいる」。
これまでは分かってくれなかった本社も、この本を読めば少しは、いや、かなり分かってくれるのではないだろうか。
現地社員たちによる盗み、賄賂、ピンはねの件は、詐欺や横領のハウツー本としてもイケるのではないかと思ってしまうほど本格的である。
ちなみに当人たちに悪い事をしているという意識が微塵もなかったりするのがまたすごい。平然と、悪びれた風もないのである。彼らはいたって「真っ当に」稼いでいるつもりなのかもしれない。
タニヤ通りのタイ人女性に入れあげた結果、牢屋にぶち込まれるというクライマックスを迎えた50代の日本人男性。苦悶する駐在員の傍で、現地に上手く適応する現地採用社員のエピソードもおもしろい。
カンボジアの凄腕ドライバーと、おんぼろトラックとの緩~いカーチェイス。はたまた三角関係によって、プノンペンのオフィスは、あわや惨劇の現場に。
本書からぷんぷん伝わってくる東南アジアの空気に読み進むうちに慣れていった私は、じきに「仰天エピソード」にも仰天しなくなって行った。そんな自分が少々おっかない。
そして気が付くと
「東南アジアだからね、それくらいのことは御愛嬌」
などと一人呟いている始末。
ヤバい。これはまさに、第4章「身勝手な人々」の「現地化する日本人」現象の兆しではないだろうか、、、。これは、現地に馴染み過ぎてしまい、本来の「日本人的な感覚」を失いかけている人を表した言葉である。
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さて、話は少し変わるけれど、日本社会は昨今益々窮屈さを増している気がする。日々のストレスに押しつぶされそうになっていたり、行き詰りを感じている人も少なくないんではないだろうか。
そのような中で、本書が伝えるエピソードの数々というのはともすると、力の入り過ぎたあなたの肩を少しは楽にしてくれる代物かもしれない。もっと適当でいいのだよ、と。
あるベトナム人は仕事中にも関わらず「暇だから家に帰った」わけであり、あるミャンマー人は「遅刻してはいけないとは知りませんでした」と真顔で言うのである。
もちろんそういった人々の事を肯定するわけではないが、私は絶対に否定もしたくはない。そういったことがまかり通る国や地域、人々がいることにむしろほっとするのである。
時間に厳しいといわれる日本人も、とあるタイ人の目には「時間を守らない人たち」と映っているらしい。
その心は、
「就業時間が決まっているのに、どうしてだらだらと残業をするのか、、、。タイ人には理解が出来ない」。
というわけである。
なるほどそういった視点から眺めるならばたしかに、我々日本人は世界で最も時間にルーズな人達かもしれない。
「はい買った買った~!」photo by Nemo’s great uncle
※本書編集の下川裕治氏のブログもおすすめです。