photo by Guillermo Fdez
タイではこの所、乗客が列車に巻き込まれ死亡する事故が相次いでいるようだ。
今月17日には、バンコク都内のタイ国鉄(SRT)フアランポーン駅から北方1,7キロの所で、ピッサヌローク行きの旅客列車に乗っていたタイ人のおじさんがステップから転落、そのまま車輪に引き裂かれて亡くなった。
このおじさんは車両清掃を請け負っていた民間企業の従業員で、列車が一時停止した際、買いものしようと一端下車し、発車した列車に再び飛び乗ろうとしたところ、バランスを崩して巻き込まれ帰らぬ人となったらしい。
昨年12月の24日には、タイ西部カンジャナブリ県のタイ国鉄バンプポン駅で、同じく列車のステップから乗客のオランダ人男性が転落し、車輪に巻き込まれて死亡する事故があった。
11月26日には、同じ路線において、在タイ・ギリシャ大使館員のギリシャ人女性が同じくステップから落ちて死亡するという事故があった。 かばんの紐がドアのレバーに引っ掛かりバランスを崩した事が原因とされている。
タイの列車はドアが開きっぱなし?
私もタイを歩き回っている間に一度だけ列車に乗った事がある。バンコクを走るスカイトレインは近代的で日本のものとさほど変わらない作りに見える。しかし地上を走る「列車」の中には古風で趣のある車種がまだまだ支配的である。
タイ東北部の玄関口のコラートからさらに東へ向かいスリン県へ。この時乗った列車は、乗客が「ステップ」から乗り降りするもの。
発車してからもドアは開きっぱなし、席にあぶれた乗客がその周りに屯していたりするという野性的なスタイル。こういった光景はタイではお馴染みのものだろう。
自分の席がどこか分からなかった私はドアの周りにしばらく突っ立ってやりすごしていた。
(誤って転落したら終わりだ)。
激しく揺れる列車、ドアの開いたままのステップの傍から倍速で流れる地面をこわごわと眺め、かなり注意深くそこに佇んでいたのを覚えている。転落し地面に叩きつけられて激しくスピンする自分を想像した。
私は体が粉砕されたような気分だったが、お構いなしで人ごとのように加速を続ける列車が、「自分の実は自分で守れ」と冷たく言い放っているようであった。
冷房のない車内は窓が全開だ。焼畑の煙に乗って灰のカスが車内に舞いこんでくると乗客はやんやん言って煙たそうに眼を細める。私も顔を歪めつつ、内心は少し喜んでいさえする。煙や灰フェチというわけではない。旅先での小さな災難はちょっとしたエンターテイメント性を秘めているものだ。
天井の扇風機はフル稼働で首をフリフリと動かすのだが、窓から吹きこむ風がすでに暑さを忘れさせた車内ではただの飾り。そんな中全開にされたドアは、風を取り入れるという建前のうちに、開閉の手間を省いている怠慢さが見え隠れする。
車内を風の筒抜けに、灼熱の大地をサバイサバイと汽笛を鳴らして快走するのはたいへんに結構なのだが、私はこの開きっぱのドアが気になって仕方がない。この長方形の枠の外には、長閑で熱く綺麗な景色が広がっていて、吹きこんできる風は同時に解放的な気分を運び込んでくれる。
ところがなぜだか私の鼻がむずむずする。それは死の香りのせいだ。つまりこの長方形の枠が私には、体のいい棺桶にも見えなくもないということ。
(だって、落ちたら死ぬべや)。
その棺桶の傍のステップに腰を降ろし、緑と赤土色の景色を眺めて煙草をぷかぷかとやる褐色の男たちの、どこか投げやりで野生味溢れる佇まいにはこ慣れたものがある。なにか、生い立ちの違いを感じざるを得ない。
一方、通路の壁にへばりつき、背中のバックパックをクッション変わりにしていた俺の頭の中では様々な心配の声が飛び交っていた。
「行きかう乗客や売り子が列車の揺れでぐらついた拍子に押されたら落ちちゃうんじゃないですか!?」「誰かの鞄の紐にひっかけられたら拍子に十分転落し得る!」
そんな声を拾い集め心に留めながら、つらつらと警戒心を深めていた。両足を交互にほどよくひらき、たとえば日本の満員電車の中でも、吊革なしでも揺れや押しに耐えられるという独自に編み出したあの態勢を披露しても見た。
ちなみにこの時の私は前日に乗ったキンキンに冷えた長距離バスのせいで風邪気味、体はどうも気だるかったのだが、だからこそ余計に注意を怠らなかった。
たまに出る犠牲者
この時の思慮はあながち無駄ではなかったようで、こういった解放された扉やステップには慣れっ子のはずのタイ人はもちろんのこと、油断や不運の餌食となったツアーリストたちの悲報がちょくちょく届いている。
タイのあちこちの「ステップ」が死への扉の役目をはたしてしまっている。滑ってしまったり、はたまたバランスを崩した拍子に遇えなく転落したり。
想像するのもおぞましいことだが、車輪に巻き込まれ、当初の目的地とは別の世界へと早々に終着する者多数。こうなると、なんともおそろしい、自己責任の、近寄りがたい、あのステップ周りからは、本格的に死の香りが鼻を衝いてきそうだ。
スリン駅に向かう列車の中で、(しかしこれ危なくないのかねぇ~、このドア無し状態は?)としみじみ眺めていたものだが、やっぱりこれは当初の直感通りかなり危ういものらしく、じっさいに転落死亡事故もときどき起こっているらしい。
脱線事故も多い
タイには日本よりも多くの「不良列車」が走っているようで、脱線事故も定期的に起こっているようだ。敷かれたレールの上を大人しく走れない性には多少の共感こそあれ、 脱線するたびに数人の乗客が負傷するわけだからこれはやってはいかんことだ。
やってはいかんといっても、原因はもちろん列車がグレたというよりも、運転手の居眠りやレールの老朽化、雨による枕木の緩み、初めからあった欠陥、などなど多岐に渡るはず。こうなると俺のような奥病が先に立つ者は、今後タイの国鉄に命を預ける気には到底なれそうもない。これに乗るには私の「マイペンライ」の総量が圧倒的に足りていない。
もし私が鉄道会社の社長なら、多発する脱線事故には徹底したメンテナンスや車掌の意識改善で対処するはずだが、タイの場合はそれ以外にもじつに「タイらしい」角度からの問題解決の試みが行われていたりする。
2013年の話だが、「タイ国有鉄道は事故が続発していることから、厄払いの儀式を執り行うことになった」のだとか。ちなみのこの年、タイでは脱線事故が114件にも上っており、問題解決というよりも、最後の「神頼み」だったのかもしれない。
プラパットというSRT(タイ国有鉄道)総裁は、「厄払いをすることで職員の士気低下を防ぐことができるだろう」「個人的には、タイでは神の御加護によって重大な事故が防がれてきたと思っている。SRTも例外ではない」などと述べていたようで、「神の御加護」の不足が事故多発の原因の一端を担っているという考えを表明したことになる。
レールに目を凝らしてみれば、カーブなのに角々しく、繋ぎ目は離ればなれ、その下に敷かれた杭の吹っ飛んだ頼りないコンクリートブロック。そしてその上を快走する列車には居眠り運転手だ。
よし、こうなったら私も、タイにはタイ人なりの方法が一番適しているはずだから、メンテナンスを徹底している場合じゃない、一緒に祈ってみることにする。
ああ神よ、角のついたレールを滑らかに、おお神よ、吹っ飛んだ杭を元通りに!
ああ神よ、ボルトが吹っ飛んだレールの繋ぎ目を、どうか繋なぎ留めてくれたもう!
いったい神の御加護以外にどうやってこれを軽減できるというのだろう!