※2014年3月頃の話です
タイ東北部の町ウドンタニー。一週間ほど滞在したうちのある日の午後、オレは昆虫食を探しながら町を散歩するという試みを決行した。恐らく気温は40度に迫っていたが、帽子など持ち合わせていなかったオレは無頓着に炎天下を歩き始めた。幹線道路を東へ向かって歩きはじめると、間もなく事態は甘くないと気付いた。頭がぼうっとしてくるし、まだ録にぶらぶらもしていないのに、もうすでにくらくらしてくる始末だ。タイの暑さには慣れたつもりであったし、体力にも自信はあったのだが、そういった甘い考えはとたんに崩れ去った。
車やバイク、トゥクトゥクはひっきりなしに行きかうのだけれど、周囲に歩く人の見えなかったことも、余計にまずいと思った。一端適当な日陰に避難して水を補給した。トゥクトゥクでも拾おうと思っていた。
以前からこんな考えを持っていた。
「タイ人はバイクばかりのって怠けてるね。もっと歩いた方がいいよ、健康のためにもさ」。
運動不足に映る大方のタイ人をなぜか憂いていた不思議な自分がいたのだが、たった今無為な頑張りによって炎熱にくらくらと弱ったことの間抜けさに、彼らが炎天下をむやみに歩かないことの正当性を実感する。のらりくらりの「サバイサバイ(心地よい、気持ちよい)」思考のタイ人の性質とは、この暑さをやり過ごすための知恵の一つだと解釈することもできそうだ。
さて、タクシーを拾い、東の方へ。冷房が熱っぽい体に優しく効いてサバイ、なんとか命拾いした気分だった。とあるマーケットを目指した。タクシーに乗ってしまっては「散歩」とはいい辛いのだが、熱射病でぶっ倒れても仕方がないので、よしとしよう。
・Big C(大型スーパー)そばの市場。
市場の中の屋台でラーメンを啜り体力の回復をはかる。そのあと市場内を散歩する。
野菜や果物を荷台に山積みにしたトラックが忙しく市場へと入り込んでくる。屋根の下では、5メートルほどの高さの荷台の上に立っている男が、白菜やネギなどが入った袋をポンポン下に放り投げていく。下の男がそれをキャッチして並べていく。ただの荷降ろしなのだけれど、手際の良さについつい見とれてしまう。
市場内を隅々まで見て回ったのだけれど、結局昆虫食の素材は見つからなかった。
ウドンタニーのツーリストポリスはここにこれば「マテリアル(素材)」つまり「調理前の虫」があるはずだと断言したのだが、見当たらないじゃないか。
ところで、あのとき彼が虫の事を「マテリアル」と表した際、オレはこそばゆい面白さを感じてしまったのだが、あれはなぜだったのだろう。おそらく虫に対するちょっとした偏見からだろうか。昆虫食というジャンルにおいては、虫だって列記とした「料理の素材」なのだから、それを「マテリアル」と呼ぶことは自然のはずなのに、なんだか可笑しさがあったのは、やはり虫を料理の素材として認め切れていないからなのだろうか。
いやしかしよくよく考えてみれば、魚や牛、豚の姿を思い描いてみてそこに「マテリアル」という言葉をあてがってみてもやはり、なんだか「似合わぬ」面白さがありはしないだろうか。そうするとこれはたぶん、「マテリアル」という英単語の語感自体が持つ、日本語における「食材、材料」と言う言語イメージとのギャップからくる可笑しさなのかもしれない、なんていうどうでもいいことを考えてみたりする。
さて、今日はたまたま運が悪かったのか、それともあのポリスが適当だったのか、この市場でマテリアルを目にすることはなかった。
そういえば、タイ人の言うことは適当だと思うことは旅の間よくあった。大方のタイ人はとても親切で協力的だが、なにか質問した時の彼らの「アンサー」はあまり鵜呑みにしない方がよかろう。悪気はないのだろうが、間違った情報を渡されることがよくある。
とはいうものの、その適当さは、のんびりと心地よいタイの良さの裏返しでもあるから、別にDisっているわけではないのだが。
さて、市場散歩もそろそろ潮時かと思っていたその時、市場の一角に怪しげな屋根付きのサイクロンを発見。何かの陳列とオレンジ色の「吹き」もある。これはもしや、、、
写真では見えませんが、バイクはお馴染みの”HONDA”、そしてホンダと一心同体の錆びれた車体の上には、元マテリアルの面々がズラリ。
タガメを筆頭にひしめき合う元マテリアルたち。テレビを見ながらだらだらしていた店主の女に一応了承を得てから写真を撮影。欲しいのかと聞かれたけれど、今回は買わず。やはり、俺の場合は酒の摘まみに頂くくらいがちょうどいいみたいだ。
ウドンタニーのスーパー”Makro”で冷凍マテリアルを発見する
肉や魚の並びに紛れ込んでいたのは、「蟲」たち。「蟲(むし)」という漢字は「爬虫類」も含むらしい。そして、ここでは虫では不十分。そう、カエルやワニたちのカチコチのマテリアルも登場です。
ここでもやはり、店員に許可を得てから写真撮影に及ぶ真面目な私。
ピンクのラベルには”SA GU”の文字。その下のピンクの文字は”WORM”とある。おそらくヤシオオオサゾウムシの幼虫だと思われる。露店でよく見かけるのだが、ちょっとその迫力と肉感に圧倒されてしまい、いまだ噛み潰したことはない。余談だが、”SA GU”とはタイ語なのだろうか?どうしても英語の”THUG”が頭に浮かんでしまい、その意味は「(残忍な)殺し屋、悪党、凶悪犯」であるだから、このイメージが私にはマイナスに働いてしまい、今後も余計に食べづらい種類となって悩まされることだろう。
右隣の青いラベルは”Cricket”と表記があるのでコオロギに間違いない。タイ語で呼ぶなら可愛らしく「チングリー」であり、その呼び名からは我々にもなじみ深いあの鈴のような鳴き声を思い浮かべることができる。「チングリー♪チングリー♪」
味も、塩味サクサクで酒のつまみにはもってこい。当然、冷凍されたものより、養殖場で獲りたてのをササッと上げた方が格別にうまいはず。
大小のカエルのオンパレード。小さなカエルも大きなカエルも露店に売られていたものを食べたことがある。大きなカエルの照り焼きの中に肉と春雨が詰め込まれていたのを食べた時、ちょっとおしゃれで感動した。あれはたしかタイとカンボジア国境の町、アランヤプラテートの巨大な市場での出会い。懐かしい。ちなみにとてもうまかった。この中ガエルのマテリアルは一体どんな風に調理される運命なのだろうか。
・容赦ない肉色
勘違いのワニ
“Crocodile meat”、そう、言うまでもなくワニの肉だ。
ラベルのワニがナイフとフォークを握ってるのだが、いやいや、食べられてるのは君の方と言いたくなる。ちなみに俺はバンコクのワニ園内のレストランにてワニのステーキを食べたことがある。あの時は少々生臭い野生の味がした。
・バンコクのワニ園
そういえば、こんな痛々しい事件もあったとか。
https://www.youtube.com/watch?v=4o5mPloEtFA
噛まれてしまった青年はおそらく、その体型からすると写真中央のワニに乗っている彼ではないのかと思う。大した傷でなければいいのだが、、、。
カメラを向けるとこっちを向いてくれたのを今でも覚えている。
こんなのもありました。
こういう映像を見せられると、前記のナイフとフォークを持ったワニの恰好も、あながち間違いじゃない気がしてくる。
・タガメ(雄)
タガメ(雄)のギャップにやられる
タガメの雄。この”THUG”な見た目からは想像しがたいかもしれないが、雄の持つフェロモンは実は洋なしに似た清涼な香りがするのだ。それで、香辛料なんかと一緒に磨り潰してペースト状にしたら、野菜なんかに付けてぼりぼりとやるのがフェロモン利用の常套。ラベルの写真もそんなイメージを醸している。
俺もチェンマイの山奥の村で一度タガメの芳香を堪能したことがある。あのときは、スティッキーライスを指で丸めてチリメンダー(タガメとチリのペースト)に付けながら食べるという方法だった。その芳しさたるやもう、”THUG”な容姿からは想像できないほどのもの。視覚と味覚を完璧なギャップで攻められた結果、心を奪われたものだ。
その驚きの「芳香」に感動を覚え、必然、彼の姿を思い浮かべた時にはもう、磨り潰されて跡かたもなく、つまりもうここのはいない。そんな、いうなればタガメの「粋な退き方」にはなにか、映画「Brother」の最後のシーンと重なる恰好よさが漂っていた。
「Oh~shit! アニーキー!(涙)、メンダ~、メ~ン!Oh~shit!(涙)」。
露店の虫
スーパー”Makro”を後にし、露店がひしめく通りを進むと蟻の卵に遭遇。
えんじに緑にベージュという色彩に目を魅かれ、葉っぱのお皿というアイデアも面白い。
卵だけではなく、蟻そのものも紛れ込んでいるではないか。女王アリのような大きな蟻もいるようだが、死んでいやしないか?
まじまじと眺めていると、露店主のおじちゃんがなにやら秘密ありげに笑んだ。そしてすっとプレートを持ち上げる。
すると、、、
その下に隠れていた笊には大量の卵。思わず「おー!」と声を上げてしまった。おじちゃんはそれをみてケラケラ笑っていました。二人でしばし感動を共有し、一抹の一体感を味わう。
ちなみにこの蟻の卵はこれまでにも何度か味見したことがある。プチュッと弾け、口内がクリーミーに染まる。豆乳の味に近いだろうか?
小売りの昆虫料理。一袋10バーツ。黒々、ギロギロしたのはコオロギやゲンゴロウだろう。
こちらはカイコの蛹だろうか?この辺の種類はすでに経験済み。
チングリーたちの呼び込み
この他にもウドンタニーではナイトマーケットが開かれていて、そこへ行くたびに昆虫食を売る屋台を目にした。
ひと際目を引いたのは、駅の南側、新興のモールなどが立ち並ぶ綺麗なショッピングエリアを陣取った簡易なコオロギ露店であった。目を引いたと言うよりもまず先に、コオロギの呼び込みに合った。大きなアルミの籠の中から、鈴が震えたような音が幾筋もこぼれていた。鳴き声に誘われるように近寄っていき、大胆に居座った飼育籠の中を覗くと、無数のコオロギたちが卵のぼこぼこの入れ物の表や裏をガサゴソ動き回っていた。タイヤ付きの籠だから、店主が家からここまで引っ張って来たらしい。籠からは、チンチリチンチリという可愛らしい呼び込みが絶え間なかった。しばらくそこに立ったまま、辺りをゆっくりと見回してみた。
そのすぐ後ろにはCDやDVDを並べた露店があり、足元のスピーカーからは洋楽が鳴り響いていて、そのまた奥に目をやれば、ビルのガラス扉の前の薄暗い辺りで、若者たちがブレイクダンスを踊り散らしていた。道路には、むろん車のライトが行きかっていた。すぐそこのガラス扉の脇にはATMがあり、建物の内側の冷房の効いた空間にはやはり、化粧品のお店やアパレル店が構えているようだった。
しかしオレの目の前では、依然として大量のコオロギがガサゴソしながら鳴き喚いていた。脇のフライパンの中の沸点を越えた油には、ジュクジュクとコオロギが浮いていた。洗練されたショッピングエリアの露店群の中で、コオロギが鳴き、素揚げされ、人々の口に放られて行く。流れる人々が注ぐコオロギへの視線は他のフルーツや焼き物などに注がれるのとなんら変わらぬもので、それは当然と言えば当然で、彼らにとっては日常以外の何物でもないように見えた。
飼育籠の中の各諸にカボチャの餌が転がり、何匹かはそれに群がり齧っていた。
新鮮な違和感と真新しさの中でしばらくぼうっと眺めていた。